写真展の思い出

 ある記事を読んで思い出したことがあります。
記事というのは、ふぉとログの水島さんの、展覧会の準備をしよう! (水島晃一)です。
 93年だったか94年だったか今は正確に思い出すことができませんが、
当時会社の所属している部署で広報誌を作ることになり、写真をやっている
ということで経費削減のためカメラマンとして編集に入ることになりました。
結構自由に意見が言えて、北海道に行きたい!!いいよー、こんな感じでした。
ある号で、道をテーマにして木曽路にいきたいといったら案の定OK。
ルールは言いだしっぺが文章から写真から全て自分でやる。
※もちろんチームは組みます。
事前に、調べ物をしてから現地取材に行きますが、当時の資料として唯一使ったのは
田中廣先生(故人)の木曽路をテーマにした写真集でした。
何故この本を資料として選んだ理由は、月刊誌「フォトコンテスト」の巻頭を
連載として、この田中先生の木曽路の写真が掲載されておりそれが
記憶としてあったもので、出版元に問い合わせをしたところ、個人の写真集として
出版されているので直接問い合わせをしてくださいとのこと。
えーと思いましたが、おそるおそる電話をかけたところ気さくな方で写真集を
すぐに送る約束をしていただき、おまけに宿まで紹介していただきました。
そしてなんと取材にきたら遊びに来なさいというお言葉も。
当時先生は、長野県開田村にお住まいでした。
 取材2日目に先生のご自宅に伺ったところどなたかと真剣にお話をされていました。
すると、「君ならこの20枚から2枚選ぶとしたらどれ選ぶ?」
えっ?とどぎまぎしながら「これとこれですかね」と大きなライトテーブルに
並べられたポジを指差しました。
先生笑いながら、「僕はこれとこれ」と2枚お選びになられました。
そのうちの一枚は僕が選んだものでした。
そして「君もうちの写真の会に入りなさい」と先生が主催されていた「白い風」
という写真の会に入ることがその場で決まってしまいました。
それからが大変で選んでいたのは第一回「白い風」写真展に出展するポジだったのです。
当然会員となったからには出展しなければなりません。
何回か埼玉と開田村を往復して先生に選んでいただいたのが
次の写真でした。これが僕の初めての作品と言えるのでしょう。
水島さんの記事を読んでいてこんな懐かしいことを思い出してしまいました。
「閑」という題名をつけていただきました。
707-01.jpg

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